最後に。

お…お…

おわっっったーーーーーーーー!!!!!!!!!!!

本当に、本当に、この感想というか振り返りメモ、
映画を4回見たあたりから書き始めたんですが、

現状11回目です(遠目)

ほぼひと月近く、ちょっとづつ思い出し、
忘れかけて週末見直しにいって泣き、和み、つっこみ、また泣き、
シン様何者なんだ…キューブとは…うっ頭がってなりながら、
また泣き、希望をもらいながら書きました。


正直ひとつの作品への感想にこんなに時間をかけたことがないし
映画館に通ったこともなかったので(超融合の時ですら5回しか見てない)
本当にそれだけ熱量と信念と人を突き動かす何かがあった
映画だったなあと思います。
ひとつのシーンをいくつもある解釈で見ていって、
そうすると最終的に解釈がばらばらになる。
それをひとつの感想として書くというのが個人的にとっても難しくて、
自分の中でどれもありだし、潰したくない可能性だったから、
また新たに記事に書き起こしてみて。。。って
やってたらこんなに時間がかかってしまった。

そう、答えが一つじゃない。

見た人の数だけ答えがあって、それはどれも間違いじゃない。
この映画の冒頭で示されたマルチバース理論の映像化。
あれそのもので。


光にむかうひとつの球体の中でおこなわれた出来事。
ひとつ隣の球体の中ではまったくべつのことがおこっていたかもしれない。
そういう可能性が無限にあるということ。
遊戯さんたちの未来が無限なように。
いつもどこでも、人は自分で選択した道を進むしかない。
けどその道はいくつもある。
選ばなかった道すら、選んだかもしれない自分がそこを歩く。
枝葉に広がる可能性はその分だけ情報として広がり、次元として増えていくのかも。

それを一番冒頭で、原作者たる先生自身が描いた。

先生の中ではきっと答えがひとつあるんだろうと思う。
でもそれを明かさないのはそれだけではない未来を残してくれたからだと思いたい。


遊戯王という物語はまた、先生の手を離れた。


連載が終了して10年以上、ご本人もたぶんずっと離れたかったと思うのに
メディアの展開のせいではなれることができなくて、
現行アニメでついにその手を放した。
ファンとしてはやっぱり悲しかったけど、
それでもそれが先生の決めたことならって思ってて、
でもこうして20周年って節目で自らペンをとって、指揮をとって、がっつり関わって遊戯王の続編を作ってくれたことが、本当になによりも嬉しくて、インタビューで「生まれてくる前に用紙に目的が書かれていて、それをやるために生まれてきた感じがします。その用紙の筆頭に遊戯王と書かれてた」(遊戯王新聞より)っていうことを言ってたの見た時は泣いてしまった。


先生にとって遊戯王は終わったものだってよく記事で言ってたから。
初めてそう言ってくれたのが嬉しくて、言葉にならなかった。
ただ感謝です。本当にありがとうございました。
回収してない謎が明かされますよ…!ふふ…!って感じだったはずなのに蓋あけたら
余計謎が増えて議論も増えるこの遊戯王次元(頭抱)
でも20年経てまたこうやって再燃できるほどの熱量があるっていうのは
純粋にすごいことだと思う。
こんなにすごい映画を生きてる間に見れて良かった。

私は原作をリアルタイムでずっと見てたわけじゃなくて、
むしろカードゲームが主体になってからははなれてしまった派なんだけど
数年前ふと あ、見たいな、と思ってアニメを見始めて、
社長が窓を割ったの見てこれは面白いものだ、って気づいて
原作を一気に読んでそこからは日常に遊戯王がずっといた感じなので、
往年のファンよりは思い入れは少ない方かもしれないです。
それでもこれだけの感動があるし、映画の公開が終ってしまうって思うだけでロスになりそうだからアークファイブが今やっててよかったって心底思う。
ゼアルの時もそう思った。
まだまだ謎はいっぱいあるしちょっとづつ考察していけたらいいなあ


改めましてこれまでの人生を塗り替えるようなすごい作品を作ってくださった先生と、
熱い思いで制作にあたってくれたスタッフ・キャストのみなさん、
関わってくださったすべての方に沢山の感謝と
一緒に遊戯王が好き!をプラナーズマインドできた各所のファンにも感謝。
本当に素晴らしい映画でした。


ありがとうございました!